コレラ船【晩夏の季語】
大歳時記には、コレラについての詳しい記述があります。
コレラにかかりたくないと云うおそれから、媒体となる蚊を避けるための「コレラ蚊帳」もあったそうな。
でもコレラ船とはなんでしょうか?遠い南国からやってくる船を見ただけで、コレラになってしまうと云うのでしょうか?
ほんのちょっと昔の日本では、コレラはそのように恐れられていた病だったのです。
コレラ船 いつまで沖に 架かり居る 高浜虚子
貌鳥(かおどり)【三春】
実はこの鳥は、実際にはどの種類の鳥だったのか特定されていませんでした。
様々な歳時記に記載されているものの、どの歳時記にも「実体が解らない」点では共通してるようです。
と云う、とぼけたところが、この鳥のいいところですよね?! もしかしたら、鳥の胸毛のところの模様が人の顔に似てたりしたら、新しい鳥目の発見かも知れません(=-=)>
貌鳥や 艶の出で来たし 黄楊の櫛 豊田八童子
絵踏(えぶみ)【初春】
これはキリシタンであるかどうかを調べるために、キリストの絵姿を踏めるかを検査した、時代劇でおなじみの取り調べ法です。
江戸時代に長崎では、1月4日から8日までの間にこの絵踏を行事として行ったそうで、8日には花街の遊女たちが着飾って絵踏する習慣があり、当日は見物人であふれたとのこと(^-^)
明治4年までこの法律はあったそうなのです(^^;)
着飾りし 絵踏せしもの 愉快かな 高原光輝(拙作)
バテレンが転んで踏んでしまいスパイにさせられてしまったら、その後の壮絶な人生は想像したくないですね。
そんな歴史に埋もれた物語が人知れずいくつも有ったのだと思います。。。
目貼剥ぐ(めばりはぐ)【仲春】
冬に寒いすきま風が入らないように貼ってあった目貼りを、春になって剥がすこと。
最近の家ではアルミサッシを入れてる処がほとんどでしょうから、すきま風を実感されてる人は、ほとんどいないしょうね(^^;)
ここ八王子の冬の寒さと言ったら、朝起きたときに部屋の中のコップの水が凍っていたりもします。部屋を暖かくしていた時は窓が朝に凍り付きますね。
夕方には道路が凍って光ってます(^^;)
私たちの世代は、戦争が終わってからそんなにまだ経っていない頃に産まれたのですが、当時、冬の木枯らしは東京でも窓をがたがたと揺らし、寒い寒いすきま風を送り込んでいたものでした。
目張り剥ぐ 隙間だらけの あずまやか 高原光輝(筆者)
蚕飼(こがい)【晩春】
蚕を飼って育てている養蚕家を指す季語、繭を取るために蚕を飼うこと。
ここ東京:八王子は人ぞ知る絹の町で、シルクロードと今では云われている絹を運んだ古道もあります。
桑の植わっている畑を沢山見かけるのですが、果たして養蚕をしてる家がどれくらいあるのかといえば、ほとんど現在ではないでしょうね。
野生になった桑の実を秋の散歩で集めながら、八王子の昔に思いを馳せます。
JR八王子駅を降りると、「織物の町 はちおうじ」と云う観光地のような宣伝塔
が立っているのを御覧になれるでしょう。
蚕飼女の きひろき顔の はげみいる 吉岡禅寺洞
句会の時に読まれたこの作品で、おそらくは同席の人々が可笑しくて可笑しくて笑ったのではないかと思います。
その評判から「亀鳴く」が季語になったのではないでしょうかね♪
桜狩【晩春の季語】
まだ桜の季節はこれからですが、面白いのでこれを選びました。
花見の「桜」を求めて歩くと云う意味です。同義の仲間には花巡り、桜人(さくらびと)、桜見、観桜などがありますが、なんと云ってもこの「桜狩」は、ものすごく語感の迫力が強いです。
花見のためならどんな遠くでも行くぞ〜、等のニュアンスを感じますよね?
確かに大歳時記には、「その為には、20〜30キロ歩いても厭わないものだ」と書いてありました。
せっかくの花見だからこそ、いい場所を探しに行くのかもしれませんけれど、もっと気軽に楽しくやりたいですよね?
花見に命を懸けてるようで、この「桜狩」と云う言葉はいまいち好きになれません(^^;)
大粒な 雨ふりいでぬ 桜狩 正岡子規
亀鳴く【春の季語】
まだ失われてはいないようですけど、一般の人には驚いてしまう季語ですよね、だって亀が鳴きますか?
これは、「笑う」ことの隠語として伝わり、使われている言葉です。
出典は、夫木和歌抄の中のある歌となっています。
河ごしの みちのながぢの ゆふやみに
なにぞときけば かめぞなくなる (藤原為家)
句会の時に読まれたこの作品で、おそらくは同席の人々が可笑しくて可笑しくて笑ったのではないかと思います。
その評判から「亀鳴く」が季語になったのではないでしょうかね♪
虎落笛(もがりぶえ)【冬の季語】
冬の激しい風が、電線や木々に当たって鳴る音。
これは現象としてはしばらくは世界中から無くなることはないのでは?と思いますよね?
虎落笛は、大自然が冬に下される風琴でしょう。
西洋では、イオニアン・ハープ。東洋では風琴。
それは自然の中に、竹や木のような筒を配置してうまく風を受け、楽器のように鳴らす装置のこと。
けれども、この虎落笛の声はなんと哀しくて厳しいのだろうか。
心を凍らせるような音を出す楽器が、虎落笛と云うものなのでしょう(^^;)
冬ざれば 荒れし風神 虎落笛 高原光輝(拙作 ^^;)
紙衣【冬の季語】
和紙で作った衣。
紙の繊維で作った洋服や下着はありますよね、特に海外旅行中は紙の下着で通す人も結構いるのではないかと思います。
この紙衣は柿渋を和紙に塗ったものを揉みほぐして柔らかくして着るもの。
現在でも、まだ奈良のお水取りの儀式で使用されているそうですけど、知ってましたか?
漱石も詠んでいるので、明治の頃はまだ普通に使われていたのでしょう♪
我死なば 紙衣を 誰に譲るべき 夏目漱石
松葉酒【三冬】
砂糖水に松葉を刻んだものを入れて、日光で発行させる方法と、果実酒のように焼酎によって作る方法があるそうなのだけど、日光で発酵させる方がエコっぽくていいですよね。
砂糖をたっぷり入れるよりも、もっとさわやかに軽く重曹を入れて作ってみたり、松葉酒と云う名前からいろんな製造方法を想像して行くのはなかなか楽しいです (^^)
以前は一般的だったのかも知れない「松葉酒」は薬草関係の本にも記述が見あたらなくなっています。でも、ちょっと古代っぽい、ロマンがある飲み物のようですね♪
発酵が進行してる最中に、青い沖縄ガラスのコップにたっぷり注いで呑んでみたいものです。ちょっと古酒を入れて(^-^)
蒼い空 雲のグラスに 松葉酒 高原光輝(拙作)
想像の世界だけで何種類もの松葉酒をシェイクしている、空の上の自分がいるのです(どっぺんべるがー)♪
湯婆(ゆたんぽ)【三冬】
湯婆(ゆたんぽ)は、中にお湯を入れて冷たい布団の中で体を温めるために使う、ブリキや陶器製の容器です。今、使ってる人はいますかね?
子供の頃の記憶に、かすかに湯婆(ゆたんぽ)や氷嚢を使う場面がよぎることがあります。だからこの季語は、まだまだ30代後半以降の人には使われているのかも知れません。けれどもそれは記憶の中のことで、現在の生活習慣の中では次第に忘れ去られてしまう言葉でしょう。
お腹を暖める為に、フライパン一杯の塩を煎って新聞紙に包んでいた事も思いだしてきました。温石(おんじゃく)を抱いて温もると云う習慣も、つい最近まではあったのではないでしょうか?懐かしいです(^-^)
湯婆(ゆたんぽ)で 火傷した足 幼い日 高原光輝(拙作(^^;))
皹(あかぎれ)【晩冬】
あかぎれの経験はありますか?
寒さで血液の循環が悪くなって起きる皮膚の亀裂です。
特にひびが入るだけでなく出血するような裂傷の状態があかぎれと呼ばれていたものです。
子供の頃の記憶にかすかに、「あかぎれだよ、それは」と親に云われたような、あいまいな印象があります。
でも、あかぎれを意識しないでどのくらいの年月が経ったのでしょうか。。。
放浪の俳人、山頭火のこの句は寒い情景の中に温かな情感を伝えてくれますね。
握りしめる手に手のあかぎれ 種田山頭火
坂鳥【晩秋】
古代日本人は、早朝に坂の向こうからやってくる渡り鳥について詠っていたのですが、これは「朝越ゆ」にかかる枕詞でもあったのです。
朝を越える、坂の向こうからやってくる、遠い国からやってくる。。。そんな連想がこの季語にはあったのでしょうか?
最近では、聞いたこともないですよね?
でもこの人は使っていましたよ、万葉集の裏の主人公である柿本人麻呂師匠です。
こもりくの 泊瀬の山は 真木立つ 荒き山道を
岩が根禁樹へ押しなべ 坂鳥乃 朝越えまして 柿本人麻呂
落ち穂拾い【晩秋】
意味は、刈り取った稲穂が、こぼれているのを拾う作業のこと。
落ち穂拾いといえば、農民の働いている姿の美しさを描いたミレーの絵画作品をまず思い出しますね。
日本では収穫作業を機械で行うようになって、一気に籾にまでしてしまいますから稲穂の形で落ちている事はほとんどなくなってきました。
昔日には、収穫を終えた乾いた田圃に入って、落ち穂拾いをするというのが、この季節の風物詩だったのでしょうね♪
ミレーの作品を見ながら想像の世界で、落ち穂拾いをしてみましょうか?
きっとその絵の中には、蕪村がいます(^-^)
落ち穂拾ひ 日あたるかたへ 歩みゆく 与謝蕪村
薬掘る【晩秋】
秋の野山に入って、薬草を、特に根を採集すること。
みなさん、こういう習慣ありますか?
ここら(東京・高尾山)近辺では、百合根、自然薯を含め、薬草の知識を持っていたら、たくさんの収穫があります。
でも、「薬掘る」なんて季語は意識してないですね。。。
最近、ハーブのカモミールが枯れて、一草全部植木蜂から抜いた時に、根っ子も含めて何ともいい香りだったことから、そのまま全草ドライフラワーにしました。
薬堀 けふは蛇骨を 得たりけり 与謝蕪村
色無き風【秋】
綺麗な言葉です。秋風のことを、かつてこう詠んでいました。
秋風には、「金風・素風・白風/きんぷう・そふう・はくふう」と云う副題があります。「色無き風」とは、色のないものに色を感じる心が名付けたものでしょう。みなさんは、ご存知でしたか?
新古今集から採録した、久我太政大臣雅実の句です。
物思えば 色なき風も なかりけり 身にしむ秋の 心ならひに
砧(きぬた)【秋】
植物繊維で織った布をやわらかくする為に木槌で打つ作業のこと。
またはその木を打つ台。
今頃の季節には、あちこちでこの砧を打つ音が聞こえていたのでしょう。
昔の短歌を読んでいると、よく「砧」と云う名称が出てきます。
東京の世田谷には砧緑地という場所もあります。
けれども、子供の頃に学校で習ったこの砧を身近に見て、聞いて、歌に詠みこむことはもうなくなってしまったのではないでしょうか?
こうした無くなってしまった季語の言葉についても、これから探索していきたいと思います。
三千の 遊女に砧 うたせばや 正岡子規
正岡子規は、ユーモアのある俳句を詠む人物です。
なんか壮大で楽しくていいですよね、この句は♪。
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